1998年
2月:「オープン」主宰者のNは、大学時代の友人で横浜では有名な貴金属商の2代目Sから、「心和会」というゲスト出席者の会費がなんと2万円という、超スノッブな異業種交流会に招待されました。ちなみに、その会のメンバーには、誰もが知っている企業のトップや大臣クラスの政治家ばかりが名を連ねていました。
3月:Nは当時「ゴルフ・バード」という、メンバー200名を擁するゴルフ・サークルを主宰していました。その会の趣旨は、Nの友人である中島常幸プロや倉本昌弘プロたちのために、バブル崩壊でゴルフ離れが進むゴルフ界の底辺を少しでも広げようというものでした。何年かの活動の結果「ゴルフ・バード」もある程度の成功を収めたので、Nは新たに何かを始めたいと思っていたところでした。
4月:それまで「ゴルフ」というひとつのテーマで会を主宰していたNは、メンバー各自がそれぞれテーマを持ち寄って、しかもそれが全体としてひとつの調和が保てるような会、つまり異業種交流会を作りたいと考え始めました。しかも、気軽に参加できる会。「オープン」という名称も、このポリシーのもとに発案しました。「アントレ」という、独立・起業のメディアが創刊されたのを機に、Nは自分で「異業種交流会」を主宰する決意を固めました。
5月:Nは、異業種交流会「心和会」に招待してくれた友人の貴金属商Sに、これから主宰したい「異業種交流会・オープン」のコンセプトを説明し、彼にゲストスピーカーを依頼すると共に、彼の事務所を会場として借りることを承諾してもらいました。
6月:「アントレ」に、初めて「異業種交流会・オープン」の広告を投稿しました。
98年8月:その投稿を見て初めて応募してきたのが、2000年4月まで代表を務めてもらったKです。彼は「オープン」のコンセプトに共感して、絶対に会を成功させるという強い意思を表明しました。
9月:第一回「オープン」開催。当初はセミナー形式で、日曜日の夜に新横浜にある貴金属商Sの事務所内の会議室で、彼の成功談を講義して貰うという形をとっていました。
10月:貴金属商Sの多忙が気になり(彼の睡眠時間は1日3〜4時間で、しかもそれを何回かに分けて取っているというすさまじいものだったのです)これ以上彼の仕事の邪魔しても申し訳無いので、場所を変更する事にしました。
11月:主宰者Nの知人が経営する、戸部にある小さな喫茶店に場所を変え、集まりも毎週木曜日にしました。
1999年
1月:場所が不便なのと毎週開催する負担が大きくなってきたので、場所を「関内」駅そばの150円コーヒーにして、開催日も毎月第1・第3金曜日に改めました。「オープン」を発展させるために、これだけの試行錯誤を繰り返しましたが、やっと現在のスタイルが出来あがった訳です。
3月:「リクルート・アントレ」から取材を受けました。編集者の方のご提案もあり、Nが「主宰者」、Kが「代表者」という肩書きとすることになりました。
4月:「アントレ」6月号84・85ページに、「横浜発・異業種交流会「オープン」が、カラー2ページに渡って大きく取り上げられました。
5月:「アントレ」7月号42ページ、「全国の異業種交流会」紹介のページにカラーで紹介されました。
9月:「アントレ」6月号でも紹介されている「19歳起業家」の塚田君が、主宰者Nの構想を受けて「オープン」のホームページを立ち上げてくれました。「オープン」のロゴは、塚田君のオリジナル作品です。また彼は、自身のwebの勉強も兼ねて「クリスマス島」のドメインを取得しました。ですから「オープン」のホームページのアドレスは .jpではなく、.cxで終わっています。
12月:日本経済新聞社季刊の独立・起業情報誌「日経YOU TURN・新春号」47ページに、全国の異業種交流会のひとつとして「オープン」が紹介されました。
12月:「アントレ」2月号79ページに「オープン」のホームページが紹介されました。
2000年
1月:公認会計士や行政書士・社会保険労務士等の会員の方々が、交流会の席上随時ボランティアで相談会を開催して下さることになりました。彼らの活動を、起業家支援集団「メッセージ」と名づけました。
3月:3月23日発売の「リクルート・仕事の教室」5月号「人的ネットワークが広がる・今どきの交流会・勉強会特選40」に、横浜発・異業種交流会「オープン」が紹介されました。
4月:98年8月の創設以来、主宰者Nと二人三脚で「オープン」を支えてきた代表Kですが、6月に自分の会社を立ち上げ事業に本格参入するため多忙になり、代表を降りることになりました。「オープン」存続のために2年近く強い意思を持続してくれたことに、主宰者として感謝します。
5月:サラリーマンの帰りの電車の愛読誌「日刊ゲンダイ」5月16日付けの「人脈宝庫」というコーナーに、「オープン」が紹介されました。
5月:延べ会員数200名突破。
6月:ホームページが、「ヤフー」に掲載される。
「カテゴリー」は「地域情報・日本の地方・関東・神奈川・ビジネスと経済・団体」
8月:アクセス数1万件突破。99年9月にWEBページを開設して以来、ちょうど1年目の快挙です。
10月:「月刊ビジネスチャンス誌」12月号の特集記事「起業家便利帳」の「異業種交流会編」の「まだまだあります交流会」コーナーに紹介されました。
12月:98年8月の「オープン」創立以来約2年半、21世紀を目前にして延べ会員数が300名を突破しました。
2001年
1月:「月刊ビジネスチャンス」誌の取材を受け、「交流会成功の秘訣」をインタビューされました。
2月:「月刊ビジネスチャンス」誌の「交流会」特集に紹介されました。
3月:「ヤフー」の「地域情報」カテゴリーに紹介されている「オープン」のホームページへのアクセス数が、15000件を突破しました。
4月:「オープン」の交流会で知り合い意気投合した公認会計士や税理士・司法書士・行政書士・社会保険労務士らが合同で事務所を構えて仕事している経営コンサルティング会社の「YSB」が、「起業家・投資家お見合い交流会」なるものを発足させたという紹介記事が、4月6日付けの「神奈川新聞」朝刊の「地域経済欄」に大きく紹介されました。(紹介記事は活動紹介のページをご覧下さい)
8月:創立3周年を目前にして、延べメンバーが400名を突破しました。
9月:めでたく(笑い)、創立3周年を迎えました。
最近では、毎回常時30名前後のメンバーが集い語らっており、ラフでフランクな交流会としての評価が定着したようです。これもひとえに、交流会に参加された方々が「オープン」の主旨をご理解下さり、そのエネルギーが一丸となった結果だと、感謝しております。
3年間は長いようで短かい時間でしたが、主宰者自身にとっては何より、「オープン」を維持・発展させるという意思が継続出来た事に、満足感を感じています。
また「オープン」のWEBページは「ヤフー」にも紹介されていますが、これを製作し、維持・管理して頂いている「Seasoft」塚田氏の厚意無しには、現在の「オープン」の盛会は有り得えませんでした。改めて、今までの迅速かつ誠実な対応に感謝すると共に、今後も変わらぬ関係を切にお願いする次第です。
実は「Seasoft」塚田氏は、「オープン」草創期からのメンバーで、交流会の生みの苦しみを共にした仲でもあります。
主宰者の私にとって「オープン」で得た最大の収穫は、「Seasoft」塚田氏とのパートナー・シップだったと言えましょう。今後も「オープン」メンバーの皆様方には、このように「素晴らしい出会いがあった」と感じられるような、交流の「場と機会」を提供し続けるつもりですので、お時間が許す限り交流会に参加して、大いに知的好奇心を満たして下さい。
10月:リクルート発行の就職情報誌「週刊B-ing」に取材され、交流会の様子が、「潜入!異業種交流会・オープン」と題して紹介されました。
11月:ダイヤモンド社発行の達人ブックス「人脈がいっぱい!」という単行本の「おすすめ交流会コーナー」に、横浜発・異業種交流会「オープン」が紹介されました。
2002年
3月:ビジネス情報誌「TYPE」の、「全国の交流会特集」で紹介されました。取材された内容は、「交流会に出席するメリット」と「交流会をキャリアアップに、どう繋げるか?」というものでした。
5月:「フジTV」から、同局が、この秋に放送する連続ドラマ作りの参考にするための取材を受けました。タイトルは、「恋愛偏差値」で、主役はナント、今をときめくスマップの「稲垣吾郎」と「常盤貴子」!劇中、主人公たちは、「異業種交流会」で知り合うという設定とのこと。そこで「異業種交流会」の実態を取材したいとの要望でした。「フジTV」の方々には、「オープン」交流会会場にて、実際の活動状況を見て頂き、TVドラマの参考にして頂きました。
6月:「経済産業省」から、「首都圏における創業支援の在り方に関する調査」の依頼を受け、「異業種交流会主宰者」としての立場から、上記テーマに関連する意見を、忌憚無く言わせて頂きました。
8月:リクルート発行の月刊「仕事の教室」から、「お勧め交流会」として取材を受けました。
9月:創立4周年を迎える。もう死語かも知れませんが、主宰者の世代の受験標語に、「継続は力なり」という言葉がありました。毎月2回、第1・第3金曜日に交流会を開催して丸4年。あっという間でした。3周年の時に、このような感想を記述したのが、つい昨日のようです。主宰者の私にとっては毎度毎度の交流会ですが、初めて参加する方にとっては、内心どきどきもので、まさしく「未知との遭遇」といった感覚ではないでしょうか。「初心忘れるべからず」。初めて参加する方の「どきどき感」、そのような新鮮な気持ちを常に持ち続けて、これからも交流会を続けたいと思います。
2003年
9月:創立5周年を迎える。あっという間の5年間でした。当たり前のことですが、交流会創立時に幼稚園を卒業した子供なら現在小学5年生、小学校を卒業した子なら高校2年生、大学に入学した方なら社会人1年生になっています。そう思うとこの5年間は、歴史を感じるのに充分な歳月だと思われます。主宰者としてはこの交流会を、あえて発展的な交流会にしようとしてはおりません。なぜなら、入会された方が成長してご自身の世界を見つけたら、そちらへ羽ばたいて頂きたい、このように考えているからです。横浜発・異業種交流会「オープン」は、あくまでも皆様方の「スプリング・ボード」でありたい。このように考えて、毎月第1・第3金曜日の交流会を、丸5年続けてきました。メンバーの顔ぶれこそ変わりはしても、いつ来ても同じような雰囲気で、同じように行われている。これこそが、この交流会の特徴だと思っております。5年間交流会を続けてきて、その間、「交流会荒らし」と呼べるような心無い人達も沢山やって来ました。正直、やめようと思ったことが何回もあります。しかしながら、ここまで頑張れたのは、このホームページを作成して下さっている塚田君が、常に勇気を与えてくれたおかげだと感謝しております。これからも、二人三脚で気力の続く限り頑張りたいと思っております。